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親と教師が子供の能力を潰す

親と教師が子供の能力を潰す

著者:虫明和子




プロフィール
浩宮様生誕の年、瀬戸内に生まれる。東京、米国居住後、平成元年東京杉並区に会計事務所を開業、現在に至る。

外国人との生活に子供の頃から捜していた世界を見出す。日本社会独特の閉鎖性と差別意識からの精神の開放を追及する。

書籍の内容
こども時代のあなたはどんな子でしたか?自分を取り巻く大人たちの言動、学校の決まり、世の中の仕組みに疑問を抱いたことはありませんか?大人になったあなたは今、何の疑問も抱かずそれらを受け入れている。こどもの視点にかえって、改めて自分の周りを見渡してみませんか?生きる勇気が湧いてきます!
(A4サイズ 本文66頁 2006年12月24日発行)
ISBN 4-903465-62-4



【本文一部紹介】

はじめに

第一章  何のために勉強するのか
第二章  学校での苦痛
第三章  努力してもできないこともある
第四章  父親は息子の敵、母親は娘の敵になる
第五章  子供は八つで親の能力を見極める
第六章  不合理な制約
第七章  自信
第八章  子供が家族の犠牲になる
第九章  適正
第十章  人の能力は無限大

(P2~)
はじめに

 子供の頃、私は愚図のはみ出しっこだった。人前で喋る勇気もなく、いじめられてもただ耐えるだけの情けない子供だった。当時の教師やクラスメイトは、今、私が会計事務所を経営していることを知ったら驚くだろう。

 子供は社会に出て経済的に独立するまでは、親を頼りに生きる以外の術がない。しかし、子供は親を選べない。自分の育つ環境はもちろん、学校や教師も選べない。家庭や学校、社会の矛盾に気がついても、それを表現する言葉を持たない。子供は物事が判らないと思ってはいけない。人間はかなり小さい頃からすばらしい感覚を身に付ける。それは他の生き物がそうであるように、感じ取ることはできても、それを表現する言葉を持たないのである。だんだん成長するにつれ、言葉の表現力を身に付けるが、そのくらいの年齢になると内容によっては表現してはいけないことも知っている。それを伝達することの無意味さをも承知している。この人に言っても無駄だろうな・・・と。
 もちろん、親や教師の全てが子供の能力を蝕んでいるのではないが、最も子供の能力を伸ばすことのできる立場に有りながら、その成長を最も破壊しているのもまた親であり、教師である。彼らは、子供のためにと言いながら、実際は自分の立場から自分の考えを押し付けているだけなのである。そして、そのことに全く気がついていないのだからたちが悪い。恐らく、一生気がつかないで終わるのだろうと思われる。
 この本は、よき指導者となるべき親と教師に恵まれない子供たちのために、大人の視点が変わる一助となればと願い、執筆されたものである。昭和三十年代から五十年代前半の日本がまだ貧しかった頃の農村が舞台で、生活が豊かになり、教育や生活の水準が高くなった平成の時代とは背景を異にしている。物語は自らの経験とそう多くはない人々の意見からなり、地域や立場、身分や職種の偏りから、広く当てはまるのでなく偏見のあるところはお許し頂きたい。また、ここでいう子供とは、物事が判ってくるが選択権のない小学生から高校生までを前提としている。それより年長の子供は、高等学校を終えて社会に出るか、又は大学生になればアルバイトなどして収入を稼ぐことができるので、自らの意思で選択が可能になるからである。



(P65~)
5 二十歳を過ぎたら自分の責任

 人生は不平等なものだ。
 例えば、両親を作曲家とピアニストに持つ子供は、音楽の道を進むには圧倒的に有利だ。音楽を習っていくに適切な環境が生まれる前から用意されている。高価な楽器を購入するに十分な収入と音楽に対する理解のある両親がおり、生まれたときから音楽を耳にし、その「社交界」の中にいれば自然と振舞い方も身につく。その世界に入る人の多くが親や親戚縁者がその世界の人であることが多いので、その中での競争があり、そんなに楽ではないかもしれないが、その世界の外から入ってくる人に比べると圧倒的に有利だ。親が酒場のピアノ弾きなら、子供が中学校の音楽教師になってもゼロ地点だ。つまり、その環境からして、できて当然だ。指揮者になってウィーン世界音楽祭で金賞受賞というなら、プラス。与えられた環境を越えて自分自身が達成したものだと評価できる。親が田舎の兼業農家なら、世界音楽祭には並大抵のことではいけない。留学はおろか良い楽器を手にすることも困難だろう。
 生まれたときのスタート地点の差はどうにもならない。しかし、それを言っていたらきりがない。地球上には食べ物に飢えている子供や、病気でも薬も手に入れられない人達がたくさんいる。発展国にいる者は、少なくとも二つの目と二つの手と足があるなら、自分で何とかできるものだ。
 子供は小さいときは親に依存しなければならないが、二十歳前後になると自分でアルバイトなどして、学生をしながらでもいくらかの収入を得ることができる。昼間働き、夜学ぶ、あるいは通信教育を受けることもできる。親元を離れ、独立した生活を営むこともできる。もはや、親の意見に不本意に従う必要はない。自らの環境を自分で作り上げることができるのだ。親が無能で不遇な環境だったにせよ、親の権限が強くて子供が自分の意志で決断することができなかったにせよ、それは二十歳までのこと。二十歳を過ぎたら親や環境のせいにしてはいけない。
 目が見えない人、手や足が片方しかない人、両方ない人もいるだろう。でも、これらの全部がない人は通常はいない。意志があるなら残されたものでそれなりのことができよう。
 私はこれまでに多くの国を旅してきた。それで、多くの貧しい人々を目にしてきた。彼らは、その日食べる糧を得るだけの毎日を過ごしている。一方で、その同じ国には多くの非常に裕福な人々がいる。貧富の差の極端さには驚くばかりだ。彼らは生まれたときから既に自分の一生が決まっていて、その生まれた環境から逃れることはほとんど不可能である。努力して上に登れるだけの環境が整っていない。階段の段差が大きく、個人の力ではどうにもならない。裕福な人々の余剰資金が国家の仕組みの中で、貧しい人々に還元される仕組みが整っていない。富裕者層は永遠に富裕者で、貧困者層は永遠に貧困者だ。文盲の両親から生まれた子供は、両親が文盲であるがゆえに世帯の収入が低く、したがって学校にも行けず、小さいときから両親を助けて働かざるを得ない。当然その子供も文盲になってしまう。文字の読み書きができないと、できる仕事は限られており、低賃金で生活の余裕は生まれない。その子が成長して大人になって子をもうけたら、また同じことの繰返しだ。生まれたときから既に、貧困から抜け出せる機会がない。電気や水道のない、トイレもない生活をしている人たちのなんと多いことか。生きるのに懸命な人達は死ぬことを考えたりはしない。そんな余裕などない。豊かな人間ほど安易に死を選択する。
 今の日本はどんな人にもチャンスがある。アメリカンドリームは、実はアメリカ以上に日本にある。今の日本では文字の読み書きができない人は皆無である。貧乏とはいっても、経済的に義務教育までは終えさせることができる。高等学校や大学も夜間や通信教育がある。特に都会には私企業の教育機関もたくさんある。低賃金の仕事でも毎日働いていれば、安いアパートを借りて質素な暮らしをし、少しの金を貯めることができる。その金で何かを習えば、もっと良い収入の仕事に就くことができる。そうすればさらにお金の余裕ができ、もっと高度なことを習うことができ、さらに良い収入を得ることができる。階段を少しずつ上がっていくチャンスがある。日本は良い国だ。道は開ける。



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